初のPCの思い出 NEC PC6001

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昔のパソコン

ツイッターで #初のPCの思い出 というタグがあって面白かったので便乗してみます。

NEC PC-6001

私の初PCはNECのPC-6001という機種です。

PC-6001(パピコン) CM

パピコンという愛称で売られていました。ちなみにCM中でポンしているカセット(ソフト)は高くて買ってもらえませんでしたので、使ったことがありません。

詳細は↓ウィキペディア

PC-6000シリーズ - Wikipedia

1981年発売ということで、、なんと39年前ですね
20年位前かと思ってました(笑)

当時は、ちょっと意識高い家の子供がパソコンを持っているという風潮でした。

『北の国から』というドラマで、都会から来た生意気な子供がパソコンを持っているというエピソードがありましたがそのちょっと前くらいです。

ドラマ「北の国から'84」を見ました。パソコン少年が、「もうじきパソコンの時代が来るんだ」
ドラマ「北の国から'84」を見ました。パソコン少年が、「もうじきパソコンの時代が来るんだ」「買い物もパソコンでできるようになるし」「サラリーマンは会社じゃなくても家からパソコンで仕事ができるようになる」「あらゆることがパソコンでできるようになるんだ」「もうじきそういう時代になるんだ」と言っていました。このセリフを聞いて...

家は裕福ではありませんでしたが、学校の同級生(意識高いご家庭が多い学校だった?)がちょくちょくパソコンを持ちはじめていたので欲しくなって親に無理をいっておねだりしました。

本当は8000シリーズが欲しかったのですが、高かったので安いほうの6001を買ってもらいました。

本体は89800円と出ていますが、それ単体では使えず、モニター・プリンター・データレコーダー(後述)の付属品も買ったので、全部で20万円はゆうに超えていたと思います。

https://tanken.com/pc/styled-9/

子供のおもちゃとしてはずいぶん高い買い物ですが、勉強になるなら・・・という期待をこめて私の親は無理して買ってくれたんでしょうね。

ワープロ以前

パソコンの前進というとワープロ?を思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、ワープロすらなかった時代です。

当時は漢字は表示されず、ひらがなだけでした。基本的にはアルファベットだけで使っていました。

プリンターも、今のようなA4用紙にプリントするものではなく、レシート用紙のような大きさのドットプリンターでした。幅のもっと広いプリンターもあるにはありましたがすごく高かった。

それでも嬉しくてプログラムコードや画面表示を印刷して友達に自慢したりしてましたね。

インターネットの無い時代

インターネットはなかった時代です。パソコン通信もまだでした。何にもつながることなく単体で使っていました。

ワープロもなくインターネットもなく、それで何をするの?というとプログラミングに使っていました。

当時はOSもなかったので、最初の動作から全てプログラミングしなければなりませんでした。線を一本書くにもまずプログラミングです。

データレコーダー

前述で周辺機器にデータコーダーがあるとしましたが、これは何に使うかというと、プログラムコードをカセットテープ録音?するために使っていました。

データを音信号に変換して録音するのです。カセットテープは普通の音楽用のものが使えました。

再生した時のピーガッガーという音がいまでも懐かしく思い出されます。

プログラミングはBASIC(ベーシック)

http://www.edgrochowski.com/software-museum/basic.html

さてプログラミングはどんな感じかというと、BASICという原始的なプログラミングでした。

BASIC - Wikipedia

手続き型言語というもので、上から順にコードを書いていくものです。

よく無限ループにさせて強制ストップさせたりしていましたね。

Basicの流れは今でもIchigo Jamのような機械プログラミングで生きてます

こどもパソコン IchigoJam - はじめてのプログラミングパソコン(1500円)
IchigoJamは、すべてのこどもにプログラミングのきっかけを提供するべく、1,500円で買えるプログラミング専用こどもパソコンです。

お子さんのプログラミング教育にこういうのもいいかもしれませんね。

BASICに目を輝かせる小学生!県内初のプログラミングクラブ20名にこどもパソコン寄贈 鯖江東小学校クラブ活動 #KidsIT #IchigoJam / 福野泰介の一日一創 / Create every day by Taisuke Fukuno
今年の4年生以上のクラブ活動(隔週45分)として、二学期からプログラミングクラブがスタート。コンピューターに関心ある20名に、こどもパソコンIchigoJamをプレゼント。みんな初めてのマイパソコンに喜ぶ姿がうれしい。早速ケースが欲しいという子供、厚紙とかで創るといいよと...

マイコンBASICマガジン

こう書いていくといかにも私が幼いながらもイチからプログラミングできた天才プログラマー少女のようですが、実は全然そんなことはないのです。

この原始的なパソコンで何をしていたかというと、なんのことはない、本に書いてあるプログラミングコードをひたすら写経していただけです。

愛読書はマイコンBASICマガジン、当時はパソコンの事をパソコンというよりもマイコンという言葉が一般的でした。

今は廃刊されてしまっていますが、季刊の『電子工作マガジン』という雑誌にひきつがれているそうです。

ただ、写経プログラミングとはいえ、かなり勉強になったことは間違いありません。楽しかったですよ。プログラミングの勉強はまず写経からともいわれますね。

初パソコンの末路

どのくらい使っていたかは記憶が定かではありませんが、飽きやすい子供のことです。やがて触れなくなってホコリをかぶることに。

その後、友達とバンドを組む話が出て、クラスメイトの持っているヤマハのシンセサイザー(DX-7、当時25万円くらい)と勝手に物々交換をしてしまいました。親に申し訳ないです・・・><。でもお互い交換して喜んだのでWin-Winで良かったです。

ちなみにシンセサイザーは教員免許を取る時のピアノの練習にまで役立ちました。

オマケ:2台目のパソコン:Macintosh

そして月日は流れ、2台目に触れたパソコンはApple(アップル)のMacintosh(マッキントッシュ)でした。これは自分が買ったものではなく学校のものです。

私は芸術の道に進んだのでPhotoshop(フォトショップ)を使うためだったのですが、あらゆることが進化していて本当に驚きました。

円を描くのにプログラミングしなくていいなんて!

マウスというもので簡単にできるなんて!!

Windowsがまだ出来ていない(普及していない)時代でしたので、びっくり画期的でした。

早くからパソコンに触れてきてどうだったか?

40年前、パソコンはプログラミングしないと何もできないものでした。

今やパソコンのことが何もわからなくてもタッチでポン(笑)と勉強や仕事がどこにいてもできる時代。信じられない進化ですね。

早くからパソコンを与えられた私ですが、現在バリバリのプログラマーかといえば残念ながらそうではありません。

ただ、当時のパソコンは原始的ゆえに『プログラムはなぜ動く?』という根本を楽しく自然に理解できたのは良かったかもしれません。大人になってから情報処理の資格をとるときにも役立ちましたね。ネットにつながっていなかったので危険な目にあう心配もありませんでしたし。

このきっかけがなければ、パソコンに抵抗感があったかもしれないので、今こうしてパソコンインストラクターをやっていなかったかもしれません。

はたしてこれで大枚をはたいてくれた親の期待に応えられたかどうか、、はわかりません・・・💦

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この記事を書いた人

フリーのパソコンインストラクター、WEBコンサルタントをしています。
愛知県瀬戸市で小規模のブログ勉強会を運営中

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